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2024/11/24 06:03 |
北京五輪開会式の画数順入場を馬鹿にする馬鹿
前代未聞の画数順で入場 北京五輪開会式

 中国のこういう姿勢は日本も見習うべきだと思うのだが、ネットでは嗤っている奴らが多いのが何ともあきれる。 漢字文化の中国が自国で行われる国際イベントで自文化の基準に基づいて並べ替えを行うことの何が悪いのか。(漢字は表音文字ではないから、音以外での並べ替えもおかしなことではなく、画数順並べ替えは日本でも使われている) 利便性を損なうわけでもないのに・・・。

 嗤っている奴らは、自らも日本語という文化を持っていながら、他国に対し「アルファベットを使え」と嗤うことの卑屈さ・滑稽さに気付かないのかね。 国際舞台の場で、日本語や中国語は使ったら嗤われるべきなのか? 国際舞台の場で、アメリカが日本を「Japan」と表記するのはよくても、日本がアメリカを「米国」や「アメリカ」と表記するのは嗤われるべきことなのか? じゃあ、フランスが日本を「Japon」と表記するのは? イタリアの「Giappone」は? 「일본」は?(表示されないか・・・)

 確かに現在の事実上の(そして多くの国際組織で公式に定められている)国際語は英語(文字ならアルファベット)だが、これは別に永久不変の絶対原則ではないぞ。 だから、未来の国際語を目指し日本や中国が自国語を広めようとすることは別に何ら恥ずべき事じゃない。(やり方にもよるが) もしそう思えないなら、戦後教育によって去勢されているってことだ。 そういう奴らには、常識を疑う柔軟性を身につけることを勧める。 (同じ事は、マスコミを批判しつつも「気違い」を「キ○ガイ」などと伏せ字にするような間抜けに対しても言える)

 それにしても、日本の長期戦略の無さは情けない限り。 せっかく、日本文化・日本語が世界中で注目を浴びているのに、その普及を後押しするどころか、小学校から英語教育などと、文化を捨てるような方向にばかり進もうとしている。 そりゃ、短期的に見れば国際競争力を高めるために英語教育は有効だろうが、長期的に考えれば、世界中に日本文化・日本語を普及させたほうがいいに決まってるだろ。 なのに何故それを国策として推進しないのか。 非現実的? そりゃ今の時代の常識で見ればそうだろう。 だが、中国はやっているぞ。(そしてかつては欧米も) 日本と中国の政策のこの視野の差は、数十年もすれば必ず目に見える形で現れてくる。 そうなってからじゃ遅いから、今から手を打たねばならない。(日本の英語教育が、日本文化普及や移民による影響力拡大への布石という考えに基づいているなら、問題ないんだけど・・・)

 「500年後日本語は無くなるかも知れない」政策と、「500年後日本語はもしかすると国際語、そうでなくとも少なくとも無くなりはしないだろう」という政策、どっちがいい?
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2008/04/08 21:48 | Comments(0) | TrackBack() | 未選択

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